ATHLETE MOTHERS -アスリートの育て方- NO.8 山本篤の母 山本鈴子さん

今最も注目されているパラリンピック選手の一人、山本篤。その凛々しい表情、鍛え上げた肉体美、圧巻の跳躍力で、リオパラリンピックでも世界の話題をよんだ。そして、走り幅跳び(切断などT42)で見事銀メダルを獲得。2020年も活躍が期待される日本のエースだ。そんなトップアスリートの育て方について、母親の山本鈴子さんに伺った。


逆を突いてみる。

今でも仲のいい家族。夜通し語り合うことも

今でも仲のいい家族。夜通し語り合うことも

篤は、三人兄弟の真ん中です。三人いつもいっしょに遊んでいましたが、それだけにけんかもたえませんでしたね。特に篤はやんちゃでした。私が篤に、「年下の子は絶対にいじめちゃいけないよ」とくぎをさすと、年上の子とけんかするんです。「上はダメとは言われてないよ」と。

どうやらうちの子は、反発したいタイプだったようです。あるとき私は、あえて子ども部屋にテレビとゲーム機を置いて、「リビングにいないで子ども部屋に行きなさい」と言いました。そうしたら逆に、みんなゲームはせずにリビングに集まるようになったんです。そこで私は気づきました。ストレートに〇〇しなさいというのは、必ずしも有効ではないのだと。

中学校に入ってからは、朝は起こさないようにしました。遅刻すれば自分が怒られるのですから、それがいやなら自分でがんばって起きるわけです。
「風邪をひいたら、うちから一歩も出てはいけない」と約束しました。外で遊ぶのが大好きな子たちでしたから、自分自身で健康に気をつけるようになりました。三人とも学校はほとんど休みませんでしたね。

節目では、目的を明確にする。

私の父は、たいへん厳しい人だったので、私は自分の子には、やりたいことをやらせたいと思いました。篤の場合、小学校で野球、中学校からはバレーボールでした。

進学も、子どもの希望を優先させました。ちゃんと就職してくれれば、高卒でも大卒でもどちらでもかまわなかったんです。ただし本人が進学したがったら、「何のために行くの?」と聞くようにしました。目的のはっきりしないことには賛成しませんでした。

だから、篤が「専門学校や大学に行きたい」と言ったときにも、「目的は?」とすぐ確認しました。そうすると本人も立ち止まって考え、目的が明確になるわけです。ありがたいことに、うちは三人とも就職できました。

ただ、そうやって石橋をたたくような感じで育てたので、篤は「未だに冒険ができない」とは言っていますね。「でもいいじゃない?」と私は思います。ちゃんと社会人として自立できているわけですから。

ピンチを重く捉えすぎない。

篤の事故は、高校二年生のときでした。その日風邪薬を飲んでいた篤は、バイクを運転中眠気をもよおして、カーブで転倒してすべり、ガードレールに足が衝突。救急車で病院に運ばれ、即入院でした。

「骨折はしているだろうな」と思っていたら、足の色がどんどん悪くなって……。先生から「壊死してきていますね。お父さんとお母さん、切断していいですか?」と突然言われました。「ええ!」とびっくりしましたが、先生にお任せするしかありません。でもその決断の早さがよかったみたいです。手術は成功しました。

切断手術後に「今、写真撮っといたほうがいいんじゃない?」篤がそんなふうに言いました。「僕が有名になったときにその写真使えるよ」と。私は明るい篤にほっとしました。でも考えてみれば、私たち家族はいつもそんな感じですね(笑)。基本的に前向きなのです。

退院してからも、笑いはなくなりませんでした。ある日篤が、義足を玄関に立てかけておいたんです。それを見た近所の人が、「ぎゃー!」っと叫びました。「足が落ちてる!」と(大笑)

人生はもらいもの。

迫力の跳躍でいつでも注目の的の篤さん

迫力の跳躍でいつでも注目の的の篤さん

切断したことがきっかけで、その後篤は義肢装具士の専門学校へ行きました。すると学校の方が、障害者の陸上大会に誘ってくれました。そこでドイツ製の最先端の競技用義足をはかせてもらったんです。転んだけれどちょっと走れて、篤はこのとき思ったそうです。「あぁ、義足で走れるんだぁ! こんな面白い世界があるんだ!」って。

その後も、義足のモデルをやったり、本格的に陸上を始めたり、大学に入ったり、就職したり、そして世界大会でもメダルを獲れるようになったりと、篤の人生の幅はどんどん広がりました。そしてそれは、たくさんの人たちと出合い、助けていただいたということでもありました。

篤の病院通い(リハビリ)や学校の送り迎えは、篤のお友だちがやってくれました。たまたまそのお友だちが、お父さんを亡くしてふさぎこんでいた時期で、協力してくれたんです。

私はつくづく思います。篤の人生は天から与えられたものだと。篤が健常者のままだったら、今ごろどうしていただろうと。今篤が世界一を狙えるポジションにいることに、私は不思議なめぐり合わせを感じるのです。
ありがたいことに今の状況は篤の成長にも繋がっています。例えば世界大会で表彰台に立つと、英語で他の選手と喋ることが多くなります。それで篤は英語も必死に勉強するようになりました。あんなに昔は嫌いだったのに。
人生はもらいものですね。

手段にはこだわらない。

最近篤はスノーボードにも力を入れているのですが、日本と海外の、雪質の違いに苦労しているようです。先日も、ある大会で転倒しました。すると私はつい「大丈夫? 私なら怖くなって躊躇してしまう。」などと勝手なことを言ってしまいます。篤を自分に置き換えてしまうんですね。でも篤はやめないから、すごいなと思います。

私は、篤の大きな大会はなるべく見に行きます。でも私は一人が苦手なので、必ずだれかを誘うんです。でもドバイ2017グランプリのときは、いっしょに行く人がいませんでした。するとたまたま仕事の取引先の人が、「ドバイに行きたい」と言ってくれたんです。いつも電話だけで面識のない人でしたが、思い切って誘って、一緒に行きました。
いつもそういう感じです。目的のためには手段は選びません。ツアーだと縛られるので、旅行の計画は全部自分で練ります。周囲からは「鈴子トラベル」なんて呼ばれています。(笑)。

大胆に見えて「一人で外食できない」という一面も持つ鈴子さん

大胆に見えて「一人で外食できない」という一面も持つ鈴子さん

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