創薬の過去と現在

目次

ペニシリン

ペニシリンは、世界で初めて発見された抗生物質※です。1929年、イギリスの細菌学者A.フレミング(1881〜1955)がブドウ球菌を培養していたところ、偶然培養皿のなかにアオカビ(Penicillium notatum)が入りました。そのカビの周りだけは細菌の発育阻止が生じていたことから、カビの中には菌の成育を抑える成分があることがわかり、ペニシリンが発見されました。

A.フレミング

そしてイギリスの病理学者H.W.フローリー(1898〜1968)、生化学者E.B.チェイン(1906〜1979)らによる再研究の後、精製・大量生産されることになり、3人はノーベル生理学医学賞を受賞しました。1941年にはイギリスのチャーチル元首相の重症肺炎を治した薬として一躍有名になり、第二次世界大戦中には多くの負傷兵や戦傷者を肺炎、敗血症、破傷風など、それまで死を待つしかなかった感染症から救ったのです。

※抗生物質とは:カビ・放線菌などの微生物から作られ、他の生物細胞の発育や生理機能を阻害する物質で、抗菌薬、抗真菌薬、抗ウイルス薬、抗腫瘍薬などがあります。

胃潰瘍、十二指腸潰瘍のくすり

現在は胃潰瘍、十二指腸潰瘍のほとんどが手術をせずに薬で治せるようになりました。その薬とは、胃酸などを抑える「H2受容体拮抗薬」と、胃酸分泌の働きを抑えて潰瘍を治癒する「プロトンポンプ阻害薬(PPI)」です。胃・十二指腸潰瘍だけでなく、かなり多くの慢性胃炎が、胃壁に棲みついているヘリコバクター・ピロリという細菌によって起こることが明らかになりましたが、この治療薬としても抗生物質とあわせてPPIが使われています。

透析患者さんの貧血の改善や自己血輸血を可能にするエリスロポエチン(EPO)

エリスロポエチン(EPO)は赤血球を増やす効果を持つ生体成分で、主に腎臓で造られています。腎透析を受けている患者さんではEPOが十分に造られないために貧血になりやすく、外からEPOを入れることで、動悸、息切れ、活動意欲の低下などが著しく改善されます。また、EPOは自己血輸血を可能にもしています。手術前にEPOを注射し、自分の血液をふやしてから採血しておき、手術のときにそれを輸血するというシステムで、感染症や免疫反応などの、輸血に伴う副作用を回避できるというメリットがあります。

ワクチンとは

毒性をなくしたり、弱めたりした病原体を体内に入れることで、あらかじめ免疫を創り、病気を予防するものです。1796年、イギリスの医学者E.ジェンナー(1749〜1823)が、牛痘(牛の天然痘)にかかった人は天然痘にかからないことを発見し、天然痘ワクチンを創ったのが始まりです。

19世紀後半には、フランスの生化学者L.パスツール(1822〜1895)により、病原体の培養を通じて理論的な裏付けがされ、さまざまな感染症に対するワクチンが創られるようになり、それ以後、はしか、日本脳炎、ポリオ(小児麻痺)、B型肝炎、インフルエンザなど数多くの病気のワクチンが開発されてきました。

B型肝炎ワクチン

B型肝炎ウイルスは、肝硬変や肝臓がんをひきおこす可能性がありますが、感染前にワクチンを接種しておくことで予防が可能です。WHO(世界保健機構)は、乳幼児期にこのワクチンを接種しておくことを推奨しています。

ヒトパピローマウイルスワクチン

子宮頚がんの主な原因である、ヒトパピローマウイルス感染症を予防するワクチンが、2006年にアメリカで承認され、日本では2009年10月に承認されました。

がんを治療するワクチン

がんワクチンは、現在臨床試験の段階ですが、手術、放射線療法、化学療法に加え、第4の治療法として注目されています。患者さん自身のがん細胞を、特別な方法で加工して(がん抗体)ワクチンとして接種することにより、がん細胞を攻撃する免疫細胞の働きを強めて治療しようというものです。

がんワクチンと免疫細胞

免疫とは、自分の細胞と、ウイルスなどのように外から侵入した異物などを区別し、異物を速やかに排除しようとする身体の防御システムです。免疫の中心となるのはリンパ球で、その中でもがんと闘うのはキラーT細胞です。キラーT細胞は、がん細胞の表面の小さなタンパク質のかけら(ペプチド)を見つけ、それを目印に攻撃し、がん細胞を退治します。ペプチドは人工的に合成することができ(がん抗体)、体内に入れると刺激を受けたキラーT細胞が活性化し、さらに増殖してがん細胞を攻撃するようになります。

  1. 1.合成ペプチド(がん抗体)の接種
  2. 2.キラーT細胞の活性化・増殖
  3. 3.キラーT細胞が、がん細胞を攻撃

がんワクチンに期待されていること

がんワクチンは、がん細胞だけを狙い撃つことができるので副作用が少なく、長期にわたって再発や転移を防ぐことが可能だと考えられています。さらに効果を強力なものにするための研究や、遺伝子治療との併用など、さまざまな角度からの研究・開発が進められています。

科学、医学が進歩するのにともない、薬の開発・生産方法も変わってきました。インスリン、インターフェロン、エリスロポエチンなどのように生体成分を利用した薬が登場し、バイオテクノロジーの発達により、このような薬がバイオ医薬品として大量生産できるようになりました。そしてゲノム創薬の時代へと移り変わっていきます。

バイオ医薬品

バイオ医薬品とは、遺伝子組み換えや細胞融合、遺伝子のクローニングなどのバイオテクノロジーにより創られた薬のことです。インスリンやエリスロポエチンのように病気を治す薬のほか、がんの診断に使われる腫瘍マーカーといった検査薬などが創られています。

遺伝子診断

遺伝子を調べると、人それぞれのかかりやすい病気がわかったり、薬の効き方、副作用の出方なども判断できる可能性がでてきています。また、遺伝子に異常がある場合などに有効な治療も進められています。

ゲノム創薬

ゲノムとは、遺伝子(gene)と染色体(chromosome)から合成された言葉で、DNAのすべての遺伝情報のことです。ゲノム情報をもとに、病気に合わせた新しい薬を効率良く開発することをゲノム創薬といいます。

バイオのはなし

バイオのはなしでは、「バイオ」「ゲノム」「抗体医薬品」「個別化医療」についてわかりやすく解説します。

近年では、AI(人工知能)が薬の開発につかわれるようになっています。治療法の確立されていない疾患はまだ多くあり、新しい薬の開発が期待されていますが、研究の難易度が高まり研究期間の長期化や新薬開発の成功率の低下が大きな問題となっています。AIはこのような課題を解決し、創薬分野においても革新(イノベーション)をもたらす新しい技術として、注目されています。

情報処理の効率化、研究者の負荷軽減

AIがゲノム情報の収集・解析や研究論文探索などの時間を要する膨大な業務量を効率的に処理し、研究者の負荷を軽減します。

新薬開発の成功率の向上

AIが病気に関わるタンパク質の探索やコンピューター上の治験を行い、確実性の高い新薬候補を予測します。

今までにない視点による発見

AIが網羅的かつ客観的な視点で情報を処理することで、研究者のバイアスに左右されない新しい発見や可能性を提示します。


監修: 慶應義塾大学名誉教授 望月 眞弓先生