変化を恐れない人と組織――SmartHRと中外製薬が語る、挑戦が生まれる環境づくり

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クラウド人事労務ソフト「SmartHR」のサービス開始から10年で急成長を遂げたSmartHRと、創業100周年を迎えた中外製薬。業界も成長フェーズも異なりますが、両社に共通するのは失敗を恐れず挑戦し学び続ける姿勢です。市場や技術の変化が激しい時代において、企業を持続的に成長させる原動力は何か、組織やリーダーはどのようなマインドセットを備えるべきか。SmartHRの取締役COOを務める倉橋隆文氏をお招きし、中外製薬 上席執行役員・経営企画部長 DX/ ASPIRE担当の小野澤学寿と対談を行いました。

100年企業と10年スタートアップが示す、人財戦略

――まずはこれまでのキャリアと仕事内容について教えてください。

 

倉橋 大学を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに就職し、ビジネスアナリストとして約2年半年間勤務しました。その後、ハーバード・ビジネススクールにてMBAを取得。帰国して楽天株式会社に転職し、社長室や海外子会社社長などのポジションについたのち、2017年にSmartHRに入社。SmartHRは簡単にいうと人事・労務手続きをオンラインで完結させるクラウドシステムで、おかげさまでサービス開始から今年で10年です。

 

小野澤 偶然ですが、当社は今年で創業100年です。御社はサービス開始から10年の急成長スタートアップですから、組織のマネジメントも大変でしょうね。

 

倉橋 私が入社した当時は20人の社員が今では1500名規模になり、組織のあり方は常に大きな挑戦です。さまざまな施策を行っており、例えば幹部候補生を早期に特定し、その成長を継続的にトラッキングする仕組みを構築しました。実は、こうした自社での試行錯誤から生まれた仕組みをSmartHRのサービスとして商品化もしています。

 

小野澤 自社をゼロ番目のカスタマーとする「カスタマーゼロ」の実践ですね。どの企業も人事改革に積極的に取り組んでいると思いますが、当社もイノベーションを継続的に生み出すためには、社員一人ひとりが自律的にキャリアを考え、失敗を恐れずに挑戦できる文化と仕組みが不可欠だと考え、今年1月に新たな人事制度を導入しました。特徴的な制度改革の一つが、会社主導の人事異動を原則廃止し、社員自らが手を挙げて異動する「ジョブポスティング制度」です。まだ始まったばかりですが、最短で4段階の飛び級昇進を果たした社員も生まれています。

 

倉橋 意欲のある若い社員にとっては、とても挑戦し甲斐のある環境ですね。とはいえ、御社のように100年もの歴史がある企業にとって、若いときは歯を食いしばって頑張ってきたかもしれない社員に、あるとき急に「人事制度を変えます」と通告するのはとても厳しく、難易度が高いことだと思います。しかしそれをあえて決断し、実現したところに御社の強さがうかがえます。

 

小野澤 業績が好調だからこそ、人にフォーカスし先手を打つという考えです。具体的な成果はこれからですが、御社の場合、制度改革がどのように成果につながっているのか、“見える化”する仕組みを整えていらっしゃると聞きました。

 

倉橋 はい、SmartHRはテクノロジーを活用し、データの一元管理と活用によって従業員データベースを可視化することを特徴としています。

 

小野澤 さらに、テックチームも社内にいるので、その開発を御社内で完結できるのも強みですよね。

 

倉橋 はい、すべて自社で開発しています。ただし、組織の状態やリーダーシップの成長支援は、数値化しやすい部分とそうでない部分があります。たとえば、エンゲージメントサーベイやパルスサーベイなどによって、チームの状態や上司との関係性などの変化は把握しやすく、早期対応に有効です。一方で、手挙げ制度や幹部育成といった取り組みは、中長期的に成果が現れるため、数値だけで評価するのは難しい領域です。人と人との関わりも重視しながら、丁寧に取り組む必要があります。

 

小野澤 その開発環境や取組みを社外にも発信されていますよね。ブログなども拝見しました。

 

倉橋 今のように人材不足で売り手市場の時代だからこそ、積極的に情報発信することが大切だと考えています。多少、競合の参考になる部分があったとしても、求職者の方に魅力を感じてもらいたい。私たちは「事業は人がすべて」であり、優秀な人材こそが最も貴重な資源だと考えています。

 

小野澤 本当にそうですね。当社もイノベーションの源泉は「人」であると捉え、社員が成長と挑戦を続けられる会社を目指し、ジョブポスティングをはじめとする新人事制度の推進に取り組んでいます。

失敗から学ぶ――持続的成長の方程式は「好調なときこそ、次の種をまく」

小野澤 今回、ぜひとも倉橋さんにお聞きしたかったのが、「失敗から学ぶ」というテーマです。これまでそのような経験はありますか?

 

倉橋 いくらでもあります(笑)。ひとつ取り上げるとしたら、楽天勤務時代のエピソードが良いかもしれません。その頃、私はボストンの子会社で社長を務めていました。30歳前後という若さで貴重な機会をいただいたのですが、結果的には会社を立て直せず、清算という形で幕を閉じました。当時、売上は前年比70%減という厳しい状況。必死に改革を試みたものの、チームの士気低下や離職の連鎖など、悪循環を止めることはできませんでした。この経験を通じて、一度会社の流れが逆回転し始めると、その勢いを戻すのは極めて難しいという現実を痛感しました。

 

小野澤 会社の流れが一度逆になると、負のスパイラルが起こるというのは、私も実感があります。

 

倉橋 はい、だからこそ私は、「好調なときこそ次の成長の種を仕込む」ことを意識しています。イノベーションを止めないこと、そして「今の成功は永遠には続かない」という危機感を持ち、さらに未来へ投資を続けることこそ、持続的な成長の鍵だと思うのです。

 

小野澤 そうした経験が、倉橋さんの糧になっているのは間違いないでしょう。私もこれまでたくさん失敗を重ねてきたけれど、倉橋さんと決定的に違うのは、私は失敗を失敗と思わないタイプということです(笑)

 

倉橋 それはすごいですね!

 

小野澤 そもそも医薬品は、研究段階で3万個の化合物を作り上げたとしても上市に至るのは1つだけという世界。臨床に進んでも成功確率は約10%といわれています。大半は「失敗」に見えますが、それは避けられないプロセスであり、むしろ次につなげる学びの源です。患者さんの安全に関わる失敗は決して許されませんが、開発における「うまくいかなかった経験」は、挑戦の結果として受け止めるべきであり、そこから何を学ぶかの方が、もっと大事なのではないかと考えています。

 

倉橋 私もそう思います。IT業界でも新規ビジネスで100%の成功はあり得ません。むしろ、失敗がまったくないというのは挑戦が足りないということ。

現場で実行するチームは、「必ず成功させる」という強い気概で取り組むべき。一方で、特に意思決定を担う立場の人たちは情熱と同時に冷静さも持ち合わせる必要があります。つまり、「全力でやってほしい。必要な支援は惜しまない」とチームの背中を押す一方で、状況を見極め、「これは撤退すべきだ」と判断する冷静な視点も忘れない。この両面を併せ持つことが重要だと考えています。

 

小野澤 医薬品開発では、明らかに効果がない場合は中止を判断できますが、難しいのは「まだ可能性があるかもしれない」と迷う局面です。そうしたときに、赤字の拡大を止めたり、限られた資源を他へ振り向けたりする判断を下すのは、意思決定者の役割。プロジェクトを任された人には、最後まで価値を高める努力が必要で、むしろそうでなければその人にプロジェクトを任せることは難しいと思うんですよね。

 

倉橋 そう思います。担当者がまだ「やり切りたい」と粘っている段階で、冷静にタオルを投げ入れる、つまり撤退を決断することこそが、意思決定者の重要な役割だと思っています。

売り手市場が加速する“選ばれる職場”の条件

小野澤 キャリアを描くためのマインドセットを伺いたいです。特に倉橋さんは転職を考えるとき、どんなタイミングやきっかけで動き出すべきだと思われますか。

 

倉橋 大きく2つあると思います。1つ目は、「今の仕事に情熱を持てなくなったとき」です。成長も楽しさも感じられなくなったら、それはキャリアの停滞サインかもしれません。今は売り手市場ですし、よほど条件を絞らなければ転職のチャンスは十分あります。前向きに環境を変えるのも一つの選択だと思います。

 

小野澤 2つ目は?

 

倉橋 2つ目は、「チャンスが訪れたとき」です。ヘッドハンターから声がかかった、起業のアイデアが浮かんだ、信頼できる仲間に誘われたなど、そんなきっかけも立派な理由です。ただし夢を見すぎず、冷静に判断することも大切ですね。スタートアップの世界は成功より失敗が当たり前ですから。そしてもう一つ強調したいのは、「転職を決意する前に社内でも相談してみること」です。たとえば「社外へ行こうかと思っていますが……」と上司に話してみると、社内で新たな役割やプロジェクトの提案があるかもしれません。もしあなたがしっかり評価されていれば、会社も本気で引き止めてくれるはず。そうでなければ、気持ちよく次のステップに進む。それくらいの前向きな姿勢で、キャリアを主体的に選んでいくのが良いと思います。

 

小野澤 そうですね。上司側にも大きな意識変化が求められていて、日頃から部下としっかり信頼関係を築き、キャリアの悩みや転職の相談を率直に話せるような関係であることが重要です。上司個人の人間性やリーダーシップそのものが、組織の魅力や文化を形づくる時代だと思います。社外への転職と同じような状況が社内でもおこり、ジョブポスティングのような「自ら選ぶ」制度では、特にその傾向が強く表れるでしょう。

 

倉橋 私もそう思います。これからは会社単位だけでなく、部署単位でも「自分たちの部署はやりがいがある」「ここで働くのは楽しい」と感じてもらうための工夫や努力が求められる時代になります。そうした魅力づくりに取り組むインセンティブは、間違いなく高まっていると感じます。今は完全に売り手市場で転職も増え、企業間での競争原理がこれまで以上に強く働いていると感じます。こうした流れが、最終的には賃金の上昇につながっていくと良いですよね。

 

小野澤 そして、賃金が上がることで各社はそれに見合う付加価値やイノベーションを生み出す努力を迫られます。結果として競争に耐えられない企業は淘汰され、価値のある企業が残る。そうした循環を通じて、日本全体の生産性が底上げされていく。それが最も現実的で、目指すことのできる未来の姿なのでしょうね。

倉橋 隆文(Takafumi Kurahashi)

2008年よりマッキンゼー&カンパニーにて大手クライアントの経営課題解決に従事。その後ハーバード・ビジネススクールにてMBAを取得。2012年に楽天株式会社(現楽天グループ株式会社)に転職し、社長室や海外子会社社長などのポジションで事業成長を推進。2017年7月よりSmartHRに入社、2018年1月より取締役COOを務める。

倉橋 隆文

小野澤学寿(中外製薬 上席執行役員・経営企画部長 DX/ASPIRE担当)

中外製薬入社後、臨床開発等を経験し、米国留学でMBA取得。部門横断による製品価値最大化プロセスの確立と運営に携わったのち、グローバルプロダクトのブランドマネジャー、米国子会社社長等を経て、2021年より経営企画部長。同年から開始した長期の成長戦略「TOP I 2030」の推進に取り組んでいる。

小野澤学寿

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