中外製薬の歩み

「すべての革新は患者さんのために」この事業哲学を育んだ中外製薬の歴史を紐解きます。

2. 戦後の混乱期からの再出発 戦災からの復興期に大衆薬市場で成長

第二次世界大戦終結からの10年、厳しい社会情勢の中で中外製薬は事業再建に取り組みます。戦災により本社、池袋工場、堺工場が全焼、高田工場も半焼するなど甚大な被害を受けましたが、創業者上野の陣頭指揮の下、高田工場は終戦からわずか4カ月で復旧。ところが再建途上で、「ザルソブロカノン」などの需要減退により、経営は危機に陥ります。この危機を救ったのが二つの新製品、医療用として発売した解毒促進・肝機能改善薬「グロンサン®」とその大衆保険市場向け錠剤、そして蒸散殺虫剤「バルサン錠®」でした。

Point1: グルクロン酸合成の工業化に成功。「グロンサン®」を世界に輸出。

[1951年7月]

奇しくも業績後退の兆しが現れた1951年、中外製薬はグルクロン酸合成の工業化に成功します。解毒促進・肝機能改善薬「グロンサン®」として医療用に発売すると、世界をリードする研究成果として注目され、欧州を中心とした31カ国に輸出されました。初年度約700万円だった生産高は、4年後の1955年には10億円を超え、中外製薬の成長に大きく貢献しました。

Point2: 消費者の環境衛生志向に応え、殺虫剤がヒット

[1952年7月]

1952年、中外製薬は国内で初めてリンデン(γ-BHC)を成分とした家庭用蒸散殺虫剤を開発・発売します。初期の製品は、錠剤をブリキ製のスプーンに乗せ、ロウソクの熱で揮発させる「バルサン®錠」。やがて、ロウソクが電球に、スプーンがリングに変わり、さらにはくん煙殺虫剤「バルサン®香」へと姿を変え、家庭用から始まった殺虫剤需要は、ビル、工場、林野へと広がりました。

Point3: ロシュ社、ビタミン全13種を世界に供給。日本ロシュも日本市場を開拓

[1933年]

日本ロシュが事業を始めた頃、ロシュ社のバーゼル本部は1933年のビタミンCの完全合成を皮切りに、次々にビタミンの合成に成功します。最終的には全13種類のビタミンを世界に提供するようになり、「ビタミン・キング」の別称で呼ばれました。60年代に畜産飼料へのビタミン添加がはじまると、日本ロシュは畜産飼料市場を開拓。医薬品のみならず、食品、飼料の3分野に事業を拡大していきました。

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