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震災からの創業

海外の良薬を国内へ、国内の良薬を海外へ。

当社の原点は、1925年に上野十蔵が創業した医薬品の輸入商社「中外新薬商会」です。上野は、関東大震災の惨状を憂い、使命感を抱きます。「世の中の役に立つ薬をつくる」。その一念が上野を突き動かしました。

POINT11925年3月

社名に込めた海外進出への願い

関東大震災の2年後にあたる1925年3月、上野十蔵はドイツの製薬会社ゲーヘ社の輸入代理店を創業します。海外の良質な医薬品を日本中に広めるだけでなく、やがては日本の医薬品を海外に届けたいという志を抱き、社名を「中外新薬商会」としました。当時、上野は32歳。従業員7名での出発でした。

POINT21937年12月

臭化カルシウムの自家生産に成功

明治以降、多くの国民を苦しめた結核。まだ国内に治療薬を製造する技術がなかった頃、中外は1930年に鎮痛・消炎・解熱剤「ザルソブロカノン」を開発します。1931年の満州事変以降、輸入に頼っていた原料となる臭化カルシウムの調達が困難になると、上野を中心とした開発努力により、1937年に臭化カルシウムの自家生産に成功しました。

POINT31912年12月

日本人プロパー第1号、誕生

ロシュ社の製品が日本に上陸したのは、明治末期の1904年。商社を通じた販売で苦戦を強いられていたロシュ社は直接販売に乗り出し、外科医ルドルフ・エベリングを日本に派遣します。そのエベリングが、医学に精通しドイツ語に堪能な薬剤師として採用したのが二宮昌平です。現在のMR(Medical Representative、医薬情報担当者)の前身となる、最初のプロパーが誕生した瞬間でした。

数字で見る中外製薬「従業員数」
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