中外製薬は、リアルワールドデータ(RWD)※の利活用を通じて、新薬の臨床開発プロセスの効率化・高度化、医薬品の価値証明、疾患理解などを進めています。今回のnoteでは、大規模な多施設ICUデータベース“OneICU”を提供する株式会社MeDiCU(メディキュー)のCEO木下氏を招き、RWDのビジネス実装に重要な要素について議論します。中外製薬のデータサイエンティスト塚田啓介と、クリニカルサイエンティスト長谷川あゆみが、木下氏とともに、RWDを活用した急性期疾患治療薬の可能性と課題について語り合いました。
※ 日常の実臨床の中で得られる医療データの総称。レセプトデータ、DPCデータ、電子カルテのデータ、健診データ、患者レジストリデータ、ウェラブルデバイスから得られるデータなどがあり、近年、医療ITの進展により大量のRWDを取得・解析できるようになった。中外製薬「リアルワールドデータの利活用」に関する情報はこちら
※中外製薬公式talentbook(https://www.talent-book.jp/chugai-pharm)より転載。記載内容・所属は2025年3月時点のものです。
対談者プロフィール
木下 喬弘(トップ画像中央)
株式会社MeDiCU CEO。
大阪の救命救急センターで9年間の臨床経験を経て、2019年にハーバード公衆衛生大学院に入学。
2020年度ハーバード公衆衛生大学院卒業賞"Gareth M. Green Award"を受賞。Philips Research North Americaで集中治療室の医療AI開発に携わる。
2023年に帰国し株式会社MeDiCUを設立。
塚田 啓介(トップ画像左)
中外製薬株式会社 デジタルトランスフォーメーションユニット デジタルソリューション部 データサイエンスグループ所属。
データサイエンティストとして早期開発領域でのRWD解析を担う。開発戦略策定に利用するRWDの評価、導入にも関わっている。
長谷川 あゆみ(トップ画像右)
中外製薬株式会社 トランスレーショナルリサーチ本部 早期臨床開発部 早期開発第4グループ所属
クリニカルサイエンティストとして自社創製の開発候補品の開発戦略の立案、臨床試験計画の策定などを担う。
RWDの利活用の取り組みと課題
長谷川 私は、クリニカルサイエンティストとして急性疾患を対象にしたプロジェクトを担当しており、臨床試験計画の策定にRWDを活用しています。薬剤の投与期間を検討する際に、対象となる患者さんの特性、入院期間、合併症の発症時期、退院のタイミングなど、治療予後に関するデータをRWDから把握し、臨床試験における投与期間の設定に活用しています。それ以外にも、対象としたい患者集団を特定して、その治療成績や予後の予測にも活用し、治療効果の仮説設定や臨床試験に必要な症例数の見積もりの精緻化を目指しています。
しかし、RWDの開発品プロジェクトへの適用には、データの信頼性の見極めの難しさを感じています。臨床試験では、治験のプロトコル(実施計画書)に沿って、選択・除外基準に合致した方を対象に、定められたスケジュールに沿った治療が行われます。一方、様々な背景を持つ患者さんに投与され、かつ、治療介入のタイミングが必ずしも厳密に管理されていない実臨床では、得られるデータが大きく乖離している可能性があります。
塚田 RWDから得られる情報と文献情報などとの整合性を取ることの難しさは、私も何度か経験しています。特定の疾患の出現率が文献とRWDで大きく乖離がある場合、データの信頼性に確信が持てない場合も珍しくありません。データだけでは判断せず、社内のメディカルドクターや長谷川さんのようなクリニカルサイエンティストと議論を重ね、どのような理由で乖離が生まれているのか、クリニカルサイエンティストが活用するデータとして信頼性が担保されているのか、慎重に判断する必要があります。レビュー論文の小さな注意書きを参考に解析結果を解釈すると整合性が取れた、といったこともありました。データの信頼性や、臨床的な解釈の妥当性は、RWDを開発品プロジェクトに適用する上では大きな課題です。
木下 お二人のおっしゃるとおり、RWDのビジネス活用には、いかに正確なデータを、大量に集められるかに尽きると思います。MeDiCUが提供している“OneICU”は、分時バイタルサインと治療介入データが時刻をもって統合された「大規模ICU(集中治療室)データベース」です。現在の電子カルテ由来のデータからデータベースを構築した際において課題となる2つの大きなハードルを乗り越えることに挑戦しています。
協業プロジェクトのきっかけ‐OneICUの強み‐
木下 一つ目のハードルは、電子カルテは医療費の算定に必要な情報のデータベースであり、必ずしも実臨床で起きたことを再現しやすい形式で記録されているわけではないということ。
OneICUでは電子カルテの情報をそのまま使わず、実臨床記録として使える部分をいかにして出力してデータベースを構築するかということに徹底的にこだわっています。支払い情報は1日単位ですが、急性期のICUや救急の患者さんは、1分単位で状態が変化します。そのため、電子カルテの支払い情報に記録されている、どんな薬を使ったかという1日単位のデータでは、実臨床の現場を全く再現できません。それよりももっと細かな1分単位の記録や採血についても、日にちでなく、何時何分の血液検査の結果までを、重症部門システムからデータ抽出します。それらをもとに救急・集中治療の実臨床を再現できるデータベース構築を目指しています。このようにOneICUは、医療者が実臨床を反映するという明確な目的意識を持ってデータを構築したデータベースという点が特徴です。
二つ目のハードルは、診療記録は医療機関ごとに異なる電子カルテシステムで記録されているため、多施設のデータ統合が困難なこと。
OneICUは国内の4つの重症部門システムベンダー全てのデータ形式に対応しています。
ただし個々の医師が、同じ意味の病名に対して違う書き方をする表記の揺れは、この先も変わらないと予想されます。例えば、「くも膜下出血」という病名の「くも」を片仮名で書くのか、平仮名で書くのか、あるいは英語のsubarachnoid hemorrhage と書くのか、略語のSAHと書くのかという場合です。これらをすべて一つの病名として統一したデータに変換する作業は、電子カルテ由来のデータを使う限りは欠かせません。色々な様式の記載を、独自の自然言語処理の技術を用いて一つの規格に落とし込み、最終的にはICDコードという標準病名コードにまで持っていくというエンジニアリングを、1年ほどかけて開発しています。多様な医療機関で、多様な医療従事者が入力しているデータを、同じ形式で提供できることがOneICUの強みです。2025年1月時点で、参加契約された全国の医療機関は26施設。昨年1年間で26施設なので、2週間に1施設となり、現在もほぼ同じペースで増えています。
急性期疾患の治療薬開発に向けて
塚田 まさに時間や分単位といった時間分解能が高いということが、協業の大きなきっかけでした。これまでは、会計情報をもとにしたRWDを扱うことが多く、患者数が非常に多いのでスケーリングしやすいメリットはありましたが、情報が1日単位で、短時間で変動する検査値などにはアクセスできずにいました。急性期や大きな手術後の状態は、1日単位ではなく、もっと短時間に変化し、それが治療方針上はとても大事なはず。その情報が得られれば、医薬品開発に重要なデータとなります。
長谷川 疾患の特性によっては時間分解能の高さは重要ですね。急性疾患では、数時間単位の検査値の変化によって、疾患の重症度が変化することがありますが、重症度を判断するための特定の検査値が欠測しているデータベースが多く、目的の患者集団が特定できないことがありました。OneICUを活用し、数時間単位の検査値の変化の情報を得ることができれば、より目的の患者集団を特定することができ、具体的な患者さん像を把握することで、医薬品の開発の効率化と高度化が期待できると期待しています。
グローバルを見据えた薬剤開発へ
長谷川 中外製薬の開発候補品はグローバル開発を念頭に開発を進めます。その場合、国内データベースであるOneICUの海外データへの外挿性はどのように考えたらいいのでしょうか。
木下 それはとても重要なご指摘です。現状、OneICUには国内のデータしかないので、海外と全く同じ情報、データとしては扱うことはできません。ただし、OneICUに参加している多くの施設は大学病院や市中の中核病院であり、診療レベルが非常に高く、一定のガイドラインに沿った診療をおこなっているため、世界の標準的な治療から大きく外れる診療をおこなう施設はないと考えています。また実際の診療の違いは、海外のICUデータベースと比較する方法があります。
新プロジェクトへの期待
木下 データを使って医療の価値を最大化することが、MeDiCUのミッションであり、私が臨床医の時代から常に求めてきたことです。特に急性期疾患は、患者さんの状態が分単位で目まぐるしく変化し、1分1分の医師の判断や適切な薬剤選択が予後に大きく影響します。
今回、OneICUが患者さんの予後を改善するための薬剤開発プロジェクトに携わることができることに本当にワクワクしています。
塚田 刻々と変わる患者さんの状態を表すことができるデータを使って、データサイエンスのアプローチを考えられることに非常にやりがいを感じています。特化した疾患領域において新しい種類のRWDが着実に整備され、今まで手が届かなかった正確な投与量や高い時間分解能を持つデータが利用できるようになりました。その特徴を十分に活用して、データサイエンティストとして先進的な医薬品の開発プロジェクトに貢献していきたいと考えています。
長谷川 急性期疾患の中には、重篤なものも多く、会社としてノウハウを持っていない新しい疾患に対する開発や、アンメットニーズ及び開発難易度の高い疾患に対して開発を進めるにあたり、RWDという新しい武器を活用して、開発の成功確率を上げていきたいと思っています。OneICUを活用しながら、相互でインプットし合って、データベースの成熟にも寄与できればと考えています。また、今回の解析で培ったノウハウやナレッジを、今後の会社全体の開発にも活かしていきたいと思います。
木下 データベースは活用と改善をくり返すことで進化します。今回のプロジェクトを通じて、一緒にOneICUをさらに役立つデータベースにできればと思います。