中外製薬の歩み

「すべての革新は患者さんのために」この事業哲学を育んだ中外製薬の歴史を紐解きます。

4. 今日の礎。バイオ技術ヘの挑戦 化学合成からバイオによる創薬に方針転換、経営の礎を築く

中外製薬は、1980年代前半に、当時主流であった化学合成と異なる、バイオテクノロジーを用いた創薬への挑戦に着手します。最初に上市に成功したのは、「エポジン®」と「ノイトロジン®」です。他社との共同開発や大量生産の技術の確立といった経験は、その後の抗体医薬の取り組みへとつながります。このバイオ創薬への方向転換がなければ、今日の中外製薬はなかったかもしれません。

Point1: 米国のバイオベンチャーと共同研究し、バイオ医薬品第1号「エポジン®」発売

[1990年4月]

国内にはバイオ創薬の技術やノウハウのない時代、中外製薬は1983年に米国ベンチャー「Genetics Institute社」へ資本参加し、エリスロポエチン(EPO)製剤の共同研究を開始しました。この英断が功を奏し、5年半後に「エポジン®」が誕生。この短期間での開発成功は、中外製薬の技術力と組織力の強さを示しました。

Point2: バイオ医薬品第2号「ノイトロジン®」発売。世界的レベルの業績を築く

[1991年12月]

「ノイトロジン®」の開発は、東京大学医学部および東京大学医科学研究所をはじめとする国内の大学・専門機関との産学協力体制のもと1974年に開始されました。1984年に世界で初めてヒト顆粒球コロニー形成刺激因子(G-CSF)の純化に成功した後、遺伝子工学的手法による大量生産の技術を確立、1987年から臨床試験をスタートさせ、4年後にバイオ医薬品第2号「ノイトロジン®」を発売しました。研究着手から上市までに実に17年を要しましたが、欧米に立ち遅れていた日本のバイオ医薬品の開発に、新たな展開を予感させるものとなりました。

Point3: 「企業四原則」と21世紀ビジョンを提唱

[1993年1月]

「企業三原則」は、1973年に当時の社長・上野公夫の年頭所感を起点とし、時代と共に進化してきました。1993年、当時の社長・永山治が経営のグローバル化の重要性を唱え、「国際性の追求」を加え「企業四原則」としました。この新たな理念とともに「21世紀ビジョン」が発表され、「世界の医療と人々の健康に貢献するグローバル企業をめざす」という一文を掲げて価値創造型の企業へと変革を進めていきました。

Point4: 注射薬から経口薬へ。発想の転換で誕生した抗がん剤「フルツロン®

[1987年9月]

1975年、ロシュ社の米国ナトレー研究所は抗がん作用のある化合物の合成に成功するも、注射剤としての製品化は難しいと判断します。それを知った日本ロシュ研究所は、経口剤での製品化に挑戦。1987年9月「フルツロン®」として上市し、発売から2年半後に年商100億円を達成しました。抗がん剤の多くを注射剤が占めていたなか、経口剤での開発という発想の転換が成功をもたらしました。

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