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バイオへの挑戦

バイオで経営の礎を築く

中外は、1980年代前半に、化学合成からバイオテクノロジーを用いた創薬へと方針転換を図りました。その後、最初に上市に成功したのは「エポジン®」(1990)と「ノイトロジン®」(1991)です。この経験がその後の抗体医薬の取り組みへとつながっていくわけですが、この時のバイオへの方向転換がなかったなら、今日の中外はなかったかもしれません。

POINT11990年4月

バイオ医薬品第1号「エポジン®」誕生

国内にはバイオ創薬の技術やノウハウのない時代、中外は1983年に米国ベンチャー「Genetics Institute社」へ資本参加し、エリスロポエチン(EPO)製剤の共同研究を開始しました。この英断が功を奏し、5年半後に「エポジン®」が誕生。この短期間での開発成功は、中外の技術力と組織力の強さを示しました。

POINT21991年12月

バイオ医薬品第2号「ノイトロジン®」誕生

「ノイトロジン®」の開発は産学協力体制のもと1974年に開始されました。1984年に世界で初めてヒト顆粒球コロニー形成刺激因子(G-CSF)の純化に成功した後、遺伝子工学的手法による大量生産の技術を確立、1987年から臨床試験をスタートさせ、4年後にバイオ医薬品第2号「ノイトロジン®」を発売しました。研究着手から上市までに実に17年を要しましたが、欧米に立ち遅れていた日本のバイオ医薬品の開発に、新たな展開を予感させるものとなりました。

POINT31993年1月

「企業四原則」と21世紀ビジョン

「企業三原則」は、1967年に当時の社長・上野公夫の年頭所感を起点とし、時代と共に進化してきました。1993年、当時の社長・永山治が経営のグローバル化の重要性を唱え、「国際性の追求」を加え「企業四原則」としました。この新たな理念とともに「21世紀ビジョン」が発表され、「世界の医療と人々の健康に貢献するグローバル企業をめざす」という一文を掲げて価値創造型の企業へと変革を進めていきました。

POINT41987年9月

発想の転換で誕生した抗がん剤

1975年、ロシュ社の米国ナトレー研究所は抗がん作用のある化合物の合成に成功するも、注射剤としての製品化は難しいと判断します。それを知った日本ロシュ研究所は、経口剤での製品化に挑戦。1987年9月「フルツロン®」として上市し、発売から2年半後に年商100億円を達成しました。抗がん剤の多くを注射剤が占めていたなか、経口剤での開発という発想の転換が成功をもたらしました。

数字で見る中外製薬「バイオ製品数」
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