Vol.4「誰もが自分らしくスポーツを楽しめる環境を」 一般社団法人HOKKAIDO ADAPTIVE SPORTS代表 齊藤さんの想い
中外製薬は社会貢献活動を通じて誰もがいきいきと活躍できる共生社会の実現を目指しています。
「スポーツに出会えば、子どもたちは大きく変わるし成長の機会が得られる。まずはその入り口を作りたい」と語る一般社団法人HOKKAIDO ADAPTIVE SPORTS代表 齊藤さんの想いをご紹介します。


齊藤雄大さんのプロフィール
1989年生まれ、北海道出身。2015年に車いすソフトボール日本代表監督を務め、2018年にはアメリカでパラスポーツを学ぶ。帰国後、一般社団法人HOKKAIDO ADAPTIVE SPORTSを設立し、ジュニア育成やイベント企画を通じて地域でのスポーツ普及に力を注いでいる。2020年には東京オリンピック・パラリンピックで車いすラグビーの国際審判員を務め、講演や研究発表を通じて活動の幅を広げている。
アメリカで学んだスポーツ文化を北海道に
2018年アメリカ留学中、齊藤さんが一番驚いたのは、車いすスポーツのジュニアプログラムが社会に当たり前のように根付いている環境だった。「誰もがスポーツを楽しみ、人生を豊かにしている文化がそこにはありました」と語る齊藤さん。例えば、札幌ほどの規模の地域の中でも数多くのプログラムが展開され、多くの人々がそのプログラムに参加していたという。
一方、日本では、障がいを持つ子どもたちがスポーツに触れる機会がまだまだ限られている現状がある。帰国した齊藤さんは、このギャップを埋めたいと考え、北海道に新しいスポーツクラブ「一般社団法人HOKKAIDO ADAPTIVE SPORTS」を立ち上げた。「スポーツに出会えば、子どもたちは大きく変わるし成長の機会が得られる。まずはその入り口を作りたい」という想いがクラブ設立の原動力となった。
多彩なプログラムでスポーツの楽しさを

クラブでは、車いすバスケットボールや車いすテニスといったパラリンピック種目だけでなく、鬼ごっこやフリスビーなども取り入れている。これらの活動を通じて、子どもたちは体を動かし、仲間と協力する楽しさを実感している。
この日は車いすバスケットボールのプログラムが実施された。車いすバスケットボールとは、その名の通り「車いすに乗って行うバスケットボール」のことで、パラリンピックでは1960年のローマ大会から正式競技として採用されている。クラブの中でも子どもたちに特に人気のあるスポーツの一つだ。

子どもたちはプログラムが始まる前から目を輝かせてボールを触り、早くプレイしたいと意欲を見せている。競技用車いすに乗り、ドリブルやシュートに挑戦する子どもたちは、「楽しい!」と声を上げ、夢中でプレイしていた。中でも、シュートが決まった時には大きな歓声が上がり、会場が笑顔に包まれた。
背景を問わず、年齢や育った環境も違う子どもたちが交流し、スポーツを通じて自然に絆を深めている。スポーツがもたらす力と一体感を感じる瞬間だ。
スポーツだけではない成長の場
このクラブでは、スポーツに限らず、子どもたちが新たな経験を積む場も提供している。例えば、合宿やキャンプでは、薪割りやピザ作り、小枝や木の実を使った工作など、自然と触れ合うプログラムを実施。初めての体験に挑む子どもたちは苦労しながらも成功を喜び、「やった!」「すごい!」と達成感に満ちた声を上げ目を輝かせていた。

さらには哲学教室などを通じて、「楽しいって何だろう?」「どうして楽しいと感じるんだろう?」といった問いを通じ、子どもたちに物事を深く考える機会や、グループワークで他の人の考えを聞いたり、みんなの前で発表したり、自分自身を見つめ直す時間を提供している。


親が感じるクラブの意義と感謝
このクラブは、子どもたちだけでなく親にとっても大切な場所となっている。「娘は車いすを使っていますが、普通の小学校では同じような境遇の友達がいないため、孤独を感じていたのではないかと心配でした」と語るのは、横江羽姫さんのお母さん。最初は「障がいがあることで断られるのでは」と不安を感じていたが、体験会を通じてその考えが変わったという。
「同じ境遇の仲間と出会い、楽しそうに過ごしている姿に本当に安心しました。ここは、娘にとって“自分らしくいられる場所”です」と語る。さらに、保護者同士が悩みを共有できる場があることも大きな支えになっているとのこと。「こうしたクラブがもっと増えて、多くの親子が救われる場ができることを願っています」と同じ境遇の家族への想いを語った。
子どもたちの可能性を広げるために
「やったことがないからできない、やらなくてもいいんじゃないかと思われがち。でも、中学生でも、小学生でも、親でもない誰かと一緒に遠征や合宿に行く経験があれば、彼らはできるんだと証明していきたい」と齊藤さんは話す。「環境さえ整えば、子どもたちは想像以上の力を発揮する。そういった場を作り続けたい」
「教わる側」から「教える側」へ次の世代へつなぐ循環
「小学生の頃からスクールに所属していて、もう高校生の子なんか、最初来た時は無口でスクールに行こうかどうか一生懸命悩むような子でした。最初モジモジしていても参加して車椅子を漕ぎ出すと楽しくなって、また来るようになりました。その子はバスケットやテニスも得意になって、自分の下の子たちに教えるようになったんです。」

「自分が育った環境に戻ってきて、今度はコーチとして関わってくれるようになるというのは、本当に素晴らしい事だと思います。」齊藤さんも「これは予想外でした。自分がずっと運営していかなければならないと思っていたので、こうして子どもたちが成長し、コーチとしてクラブを支えてくれるのはとても心強いです」と話した。
スポーツがより身近なものとして感じてほしい

齊藤さんは、「誰もがスポーツを楽しめる環境を広げたい」と語る。学校でのパラスポーツ体験会や地域イベントを通じて、スポーツの楽しさや意義を多くの人に届けたいという。そして、「スポーツを通じて子どもたちが自分らしく成長できる場を作り続ける」との思いで、さらなる活動を展開していく。