患者さんの声を未来へ─希少疾患データベース「血液凝固異常症レジストリ」の挑戦

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  • 患者中心の持続可能な医療
鈴木伸明先生、菅尾宜正さん

希少疾患でも最適な医療を届けたい─。その想いのもと、患者会・学会・製薬企業が手をくみ、希少疾患データベース「血液凝固異常症レジストリ(愛称:ビーレジ)」が2025年4月に運用を開始しました。開始から約1年で約2,700名の患者さんが登録され、医療関係者や血友病の方・ご家族から大きな期待を集めています。血液凝固異常症レジストリ運営委員の鈴木伸明先生(名古屋大学医学部附属病院 輸血部)と、企業としてレジストリ構築をリードした菅尾宜正(中外製薬 スペシャリティメディカルサイエンス部)が、血友病の現在地とデータが切り拓く未来を語り合います。

 

取材実施日:2026年3月19日 場所:名古屋大学医学部附属病院 会議室

血友病の「いま」を知る

─まず、血友病とはどのような病気ですか。

 

鈴木先生 血液を固めるために必要な「凝固因子」が不足する病気で、血液凝固異常症の中でもっとも多くみられるのが血友病です。先天性と後天性があり、先天性の血友病は遺伝子の異常で生まれつき凝固因子が十分に作れません。そのため、けがなどで一度出血すると血が止まるまでに時間がかかります。患者数でいうと、令和6年度の全国調査では、血友病Aが5,956人、血友病Bが1,345人(参考:血液凝固異常症全国調査令和6年度報告書)でした。希少疾患に指定され、地域の拠点病院では5人程度は定期通院の患者さんがいるイメージです。

 

─治療はどのように進歩してきましたか。

 

鈴木先生 1960年代に血液製剤が登場し、90年代には遺伝子組換え製剤が主流になりました。「出血してから止める」治療から「出血を起こさない」予防治療へと方針が転換し、2010年代後半からは皮下注射の製剤も加わって選択肢は大きく広がっています。象徴的なのは患者会のキャンプです。30〜40年前は松葉杖をついた子どもが多くいましたが、最近はみんな同じように走り回っている。それくらい治療は進歩しました。ただし、完治できる病気にはなっていません。40代以上の方は予防治療がなかった時代の関節障害を抱えていることが多く、若い世代でも治療の中断やけがをきっかけにQOLを損なうことがあります。

鈴木伸明先生

見過ごせない「医療の地域格差」と「つながりの途切れ」

─ほかにどんな課題がありますか。

 

鈴木先生 大きいのは医療の地域格差です。都市部には経験豊富な専門医の選択肢がありますが、地方ではそうはいきません。もうひとつは成人移行期の課題です。小児期には保護者が通院を管理していますが、成人になると生活環境の変化のなかで通院が途切れてしまうケースがあります。治療が当たり前になりすぎて、逆にその大切さを実感しにくくなるという側面もあると思います。患者さんが自然に医療とつながり続けられる仕組みをどう作るかが問われています。

 

菅尾 私は企業側でレジストリ構築のプロジェクトマネジメントを担当しています。全国の病院を回るなかで、ある県では専門医が小児科にしかいない、別の県では血液内科医しかいないといった偏在を目の当たりにしました。こうした問題は「なんとなく感じている」段階にとどまっていて、データとして可視化されていなかった。だからこそ、根拠を持って実態を示す基盤が必要だと強く感じました。

菅尾宜正さん

「ビーレジ」誕生の舞台裏─境界を越えた共創

─血液凝固異常症レジストリ「ビーレジ」*²はどのような経緯で生まれたのですか。

 

鈴木先生 国内で血友病の全国調査は以前から行われていましたが、紙の調査票で、どんな患者さんがどのタイミングで治療を変え、その後どうなったのか─そうした縦断的な考察ができない状況でした。一方、海外では統一されたレジストリが整備され、治療ガイドラインの策定や医療政策の立案に活用されている国もあります。日本でも同様の基盤が必要だという認識は、学会のなかで年々高まっていました。

 

菅尾 そうした課題意識から、まず日本血栓止血学会と中外製薬との共同研究がスタートしました。ここで得られた知見や運用のノウハウを土台に、より広い枠組みでの展開を目指して構想されたのが、ナショナルレジストリ「ビーレジ」です。企業が資金提供する共同研究から学会主導で運営するナショナルレジストリへ─この発展にあたっては、構想段階から患者団体にも加わっていただき、産学患の三者連携体制を整えたうえで進めてきました。

 

鈴木先生 学会と病院の連携体制が土台となりました。全国を7ブロックに分け、16か所のブロック拠点病院を中心に100か所近くの施設が協力し合う仕組みがあったからこそ、あるべきレジストリを現実的に構想できたのだと思います。

 

─PHRかレジストリか、議論の末にたどり着いた形

 

鈴木先生 検討過程で大きな論点になったのが、PHR(パーソナルヘルスレコード)とレジストリのどちらでいくのかという選択です。実は私自身はPHRを推していました。血友病は自己注射をする方が多いので、患者さん自身が自分のデータを管理するというPHRの思想に親和性があると考えたからです。ただ、PHRとレジストリではシステムの設計思想がまったく異なりますし、すべての患者さんが積極的にデータを入力してくれるとは限らない。現実的には時期尚早ではないかという思いもありました。最終的には、レジストリの枠組みのなかにPHR的な機能─患者さん自身がアプリで輸注記録や出血記録を入力できる仕組み─を取り入れる形に落ち着きました。

 

菅尾 中外製薬としては、レジストリの枠組みを基本としつつ、患者さんが日常的に使えるePROアプリを組み合わせることで双方の良さを活かせると考えました。企業として提供できるのは資金面の支援に加え、IT基盤の構築や運用ノウハウです。社内でデジタルPoCを重ねてきた経験がシステム設計に活きました。

 

─4年越しの挑戦、乗り越えた壁

 

菅尾 私がこのプロジェクトを担当してから最初の患者さんの登録まで、実に4年以上かかりました。レジストリ構築の目的の明確化、ビジョンの共有、維持管理可能な運用体制の設計、患者さんからの同意取得の仕組み、データの品質管理やセキュリティ─学会・患者団体・企業それぞれに立場や優先事項が異なるなかで、一つひとつの壁を対話を重ねながら乗り越えてきました。特に患者団体の皆さまから賛同をいただけたことは大きかった。患者さんの声がなければ、このレジストリは実現しませんでした。

 

鈴木先生 最初の登録は名古屋大学病院の私の部屋で、システムの確認を兼ねて行いました。2025年4月30日は私にとっても特別な日になりました。

 

菅尾 ただ、「やった!」という雰囲気ではなかったですよね。

 

鈴木先生 そうですね。構築に関しては8割方達成できたと思いますが、継続していくことの方がはるかに難しい。これは始まりであって、これからが大変だという認識でした。

レジストリは血友病の未来をどう変える?

─ビーレジに集まるデータは、今後どのように活用されるのでしょうか。

 

鈴木先生 まず患者さんご自身にとっての価値があります。アプリで輸注記録や出血記録を振り返ることでセルフマネジメントの質が上がります。集団データとしては、治療の実態把握や医薬品の適正使用の検証に役立ちます。そして何より、先ほどお話した地域格差の問題も、データがあって初めて可視化できます。どの地域にどんな課題があるのかが明らかになれば、診療連携体制の改善にも具体的に取り組めるようになります。

 

菅尾 製薬企業の立場からは、レジストリデータは実臨床における治療の価値を検証するための重要な基盤になります。中外製薬は血友病領域に長年取り組んできましたが、リアルワールドデータを活用した研究はまだ発展途上です。ビーレジが成長することで研究の可能性は大きく広がり、日本発のエビデンスを世界に発信できる基盤にもなり得ると期待しています。そして、レジストリから創出されたエビデンスが治療の最適化や新たな治療選択肢の開発につながり、患者さん一人ひとりのより良い医療につながること─それこそが、この取り組みのもっとも大きな意義だと考えています。

 

─データの力で、誰も取り残さない医療を

 

鈴木先生 レジストリは作ることがゴールではなく、続けることに意味があります。5年後、10年後にデータが蓄積されたとき、初めて見えてくる景色がある。血友病の患者さんが日本のどこに住んでいても同じ水準の医療を受けられる社会を実現するために、一人でも多くの患者さんに登録いただけることを願っています。

 

菅尾 中外製薬は、薬を届けるだけでなく医療環境そのものを整えることにも力を注いでいます。医療アクセスの格差をなくし、すべての患者さんに最適な治療が届く社会を目指して、これからも歩み続けます。

 

レジストリとは:特定の病気を持つ患者さんの症状や治療経過などの情報を、統一された形式で継続的に収集・管理するデータベースのこと。患者さんの同意のもと、診療情報や治療経過を長期にわたって記録し、疾患の実態把握、治療法の評価、新薬開発などに活用される(参考:国立保健医療科学院「レジストリ作成と運用の手引き 第1.0版」)。

 

ビーレジとは:一般社団法人 日本血液凝固異常症調査研究機構(JBDRO)が構築・運営・管理する、日本における血友病をはじめとする血液凝固異常症患者が登録された血液凝固異常症レジストリ。JBDROは2023年9月に設立され、一般社団法人 日本血栓止血学会(JSTH)の医師、一般社団法人 ヘモフィリア友の会全国ネットワークのメンバー等で構成されている(参考:ビーレジHP https://b-regi.net/ 2026年3月26日アクセス)。 

 

PHR(パーソナルヘルスレコード)とは:患者さん自身が自分の健康・医療情報を記録・管理し、必要に応じて医療者や家族と共有できる仕組みのこと。レジストリが研究者主導でデータを収集・管理するのに対し、PHRはデータの主体が患者さん本人となる。

 

 

患者団体の声

 

本記事の公開に寄せて、ビーレジ構築において協働した患者団体よりコメントをいただきました。

 

ヘモフィリア友の会全国ネットワーク 大西 赤人さん

 

ほとんど治療法のなかった我々の世代は、諦めとともに不便や不安に慣れてしまう面がありました。日常、何かしらの「予定」を組むことは非常に困難でした。綿密な計画を立ててみても、どこかの関節が腫れたなら、一瞬にして御破算になってしまいます。おかげでいきあたりばったりの性格になってしまったと言ったら、責任転嫁かもかもしれませんが(笑)。そういう一人の患者であるからこそ、データの力に期待しています。同じ重症、中等症であっても、患者一人一人の生活環境により、血友病の症状の現われ方は大きく異なります。Aさんへの対処がBさんにも当てはまるとは、限らないかもしれません。でも、多くのデータ=ケース・スタディが精密に集積されることにより、一層適切な治療法が効率的に選択され得ると思います。暮らしている場所、かかっている施設に関わりなく、患者が適切な治療を受けられる時代の到来に期待しています。

 

 

本記事は、血液凝固異常症レジストリに関する理解促進を目的としたものであり、特定の医薬品・治療法の推奨、広告、医学的助言を目的とするものではありません。治療に関する判断は、必ず医療関係者にご相談ください。

関連情報

活動報告「患者さん中心で実現する希少疾患データベースの構築」(2025年07月17日)

 

・Smile-On:血友病(ヘモフィリア)の方とご家族の方へ笑顔を届けるための中外製薬による疾患啓発+情報サイト
  https://smile-on.jp/

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