タンパク質科学研究部長を務める鳥澤。新薬の候補となる分子を見つけるため創薬プロセスの初期の責任を担っている。革新的な技術として注目を集めるクライオ電子顕微鏡を国内の製薬会社で初めて導入し、短期間で実装を実現。創薬プロセスの効率化に貢献した過程を辿りながら、新薬創出への想いや展望を語る。
(インタビュイー:鳥澤)
※中外製薬公式talentbook(https://www.talent-book.jp/chugai-pharm/)より転載。記載内容・所属は2024年10月時点のものです
クライオ電子顕微鏡で創薬プロセスの変革に挑戦する
鳥澤が部長を務めるのは、研究本部タンパク質科学研究部(以後、ProS部)。中外製薬株式会社(以後、中外製薬)の創薬技術の三本柱である低分子、抗体、そして新たな創薬モダリティ(治療手段の分類)として期待される中分子の創薬に携わっている。
「疾患の標的となる生体分子の多くがタンパク質なのですが、そのタンパク質を調製して解析することによって、医薬品の候補分子を生み出すための創薬の初期部分の責任を担うのが私たちProS部です。
膨大な種類の分子群のライブラリーの中から候補分子をピックアップすることをスクリーニングと呼びます。まずは、そのスクリーニングするときの標的タンパク質を目的に適った状態に準備するところをわれわれが担います。スクリーニング過程の一部もわれわれが担うこともありますし、他部署でスクリーニングして選んだ候補分子の中から偽陽性を除き真陽性の分子を見極める役割も担っています。
また、候補分子が決まった後、それを薬として仕上げていくために、分子の立体構造、分子同士の相互作用の強さや特性などの情報を取得して考察するのもProS部の責任です(鳥澤)」。
候補分子を選抜し、薬へと仕上げていくプロセスを効率化する上で欠かせないのが立体構造解析だ。タンパク質と候補分子が結合した状態の立体構造を取得し、視覚的に捉え解析することで、精緻な候補分子をデザインすることが可能になる。
その立体構造を取得する新たな手法として登場したのが、クライオ電子顕微鏡(以後、クライオ電顕)。2017年にその基幹技術にノーベル化学賞が授与され、革新的な技術として注目を集めている。
「従来、立体構造決定にはX線結晶構造解析という手法が用いられてきました。X線結晶構造解析は、候補分子とタンパク質を結合させた状態で結晶化させる必要がありました。
しかし、大きなタンパク質の複合体や細胞内・細胞膜のタンパク質の結晶化は難易度が非常に高く、立体構造を得るのが難しいものがありました。その結果として立体構造なしで薬へと仕上げるのに膨大な時間と人手がかかっていたのです。
一方、クライオ電顕は、結晶化していない状態で解析ができるため、早期に高確率で立体構造を得ることが可能になりました(鳥澤)」。
クライオ電顕を活用したプロセスの効率化に、多いなる期待が高まっている。
「かつて、結晶化がネックとなり立体構造が得られないために、何年もかけて手探りで候補分子の評価を続けるプロジェクトもありました。従来であれば、立体構造が得られず停滞していただろうプロジェクトが、今はクライオ電顕によって前進するなど創薬プロセスに大きなインパクトを与え始めています。
立体構造の解析情報を利用することで、候補分子が標的分子にどう結合して作用しているかが理解しやすくなるため、ニーズに合ったメカニズムを持つ有望な複数の候補分子をすばやく効果的に選別することが可能になります。
これまで、膨大なプロセスを踏んで候補分子を薬らしく仕上げていった挙げ句、その候補分子に薬としての限界があると判明するようなことも少なくありませんでした。
クライオ電顕を活用し、候補分子として作用様式の観点で筋の良いものを複数準備することで、創薬フローのさらに上流の工程にも貢献していきたいと考えているところです(鳥澤)」。
国内製薬企業として初のクライオ電顕導入までの道のり

「2015〜16年ごろに同研究分野のベンチマーク調査を行い、クライオ電顕で技術革新がどの程度起こっているかは把握していました。立体構造解析では、細部まで可視化することが非常に重要ですが、当時はタンパク質と医薬品候補分子の結合状態の立体構造として創薬の実戦に使えるほどの高分解能で、観察できるまでにまだ何年もかかると想像していました。
ところが、瞬く間に分解能が上がり、実用化に向けて飛躍的な発展を遂げました。2017年にはクライオ電顕に使われている単粒子解析法などを開発した生物物理学者らがノーベル化学賞を受賞するなど、その技術が世界的にも大きな評価を得るに至りました。
その後、中外製薬は2018年にクライオ電顕に詳しい研究機関との共同研究を開始。そのころには、イギリスでは複数の製薬企業でクライオ電顕装置を共有して利用するコンソーシアムが組成されるなど、世界のメガファーマがクライオ電顕を導入し始めていました。
クライオ電顕の技術発展を見極め、ベストなタイミングで導入したいという想いから、研究本部のマネジャー陣にその共同研究で得られた成果と将来の発展性を報告し、クライオ電顕の導入を提案したのが2020年で、その年の夏に導入されることが決まりました(鳥澤)」。
クライオ電顕の技術導入を検討していた当時、鳥澤が務めていたのはグループマネジャーのポジション。同技術の登場は、自らが率いる組織の成長と、創薬への貢献を両立させるまたとないチャンスだと考えていた。
「研究活動において、立体構造決定手法のベースにしていたのはX線結晶構造解析。標的分子の取り扱いが年々難しくなる中、研究員の要員を多く割いても結晶化しない標的タンパク質の立体構造決定に、どう立ち向かっていくべきか有効打を見出せずに悩んでいました。
クライオ電顕の技術の成長速度を見極め、X線結晶構造解析の代替法になると確信したのはまさにそんなタイミング。難標的分子群周辺に漂う厭戦ムードを打破し、立体構造決定の機能として、もうひと伸びして創薬に貢献できる突破口になると感じたのを覚えています(鳥澤)」。
2021年4月、中外製薬は国内の製薬企業として初めてクライオ電顕を導入。背景には、先端技術を取り入れることに前向きな当社の風土があった。
「経営層が出席する会議でクライオ電顕の導入を提案した際、社長をはじめ経営陣はとても前向きで、社長からは『もっと早く提案してほしかった』と言われるほどでした。
また、経営陣だけでなく研究員らが最先端技術の導入に賛同し、マインドセットを柔軟に切り替えてくれたことも成功要因のひとつです。X線結晶構造解析などの従来の業務にも追われる中、この新しい技術構築に積極的に対応してくれたことにはとても助けられました(鳥澤)」。
短期間でクライオ電顕の実装に成功。創薬プロセスにもたらされた新しい風

クライオ電顕にとっては、装置の導入後が正念場。クライオ電顕を専門的に活用できる人財の確保や、膨大なデータを処理するためのIT基盤の整備など課題は山積みだったが、鳥澤らのチームはこれをわずか2年でととのえ、創薬に活用できる水準に到達させる。
「装置を入れてすぐに動かせるわけではありません。まずは、クライオ電顕に適した試料を準備しなくてはなりませんでした。
また、クライオ電顕では直径3ミリのグリッドに試料を乗せて瞬時に凍らせますが、そうした環境で試料をハンドリングするノウハウも欠かせません。さらに、クライオ電顕から出力された画像を見て試料の良し悪しを判断する技術や、データを解析処理する技術も必要でした。
共同研究先の研究機関とも密に連携しながら、専門人財を社外から呼び寄せたり、それまでX線結晶構造解析などの業務に携わっていた社内の研究員を一から育成したりすることで、『候補分子のデザインにクライオ電顕を活用している』と自信を持って言えるような状態を準備していきました(鳥澤)」。
マネジャーとしてメンバーのマネジメントも手がけた鳥澤。重視したのは、これに携わるメンバーのチームビルディングだった。
「新しい技術の習得に時間を掛けられたメンバーもいますが、あまり掛けられなかったメンバーもいましたから、チームであることを意識し、互いに支え合って一緒にレベルアップしていく組織づくりを心がけました。既存の業務をこなしながらの取り組みということもあり、習得が先行したメンバーだけに業務が偏るとバランスを欠いてチームとして大きな力を出せなくなると考えたからです。
とにかく、メンバー全員が協力的でした。彼ら、彼女らの多くがX線結晶構造解析の経験者で、従来の手法の限界を超えていきたいという同じ目的意識を持っていたことも、チームがうまく機能した理由のひとつかもしれません。
さらに、中外製薬の研究員は新しい技術を取り入れることに抵抗がなく前向きで、大胆な挑戦に踏み切るマインドを一人ひとりが持っています(鳥澤)」。
クライオ電顕の導入後、鳥澤は確実に創薬プロセスの変革を実感していると言う。
「とくに結晶化が難しいタンパク質を標的分子とするケースでは、たとえばそれまで4年ほどかかっていた創薬の初期段階が、クライオ電顕を導入後、1年未満に圧縮されました。
立体構造が得られてない創薬プロジェクトがあると、それが研究所全体の足を引っ張ってしまうもの。ProS部の業務でも以前、難標的分子の結晶化にリソースを集めたことでほかのプロジェクトの進行に影響してしまったこともありましたが、いまではボトルネックが解消し、全体的な創薬プロセスのスピードが速くなったと感じています(鳥澤)」。
また、社内からはこんな反響も。
「2022年に研究本部長賞の金賞をいただきました。クライオ電顕技術の社内確立による創薬プロセスの変革が評価された結果だと思っています。
最新技術は装置の成熟が早いため、導入するタイミングを誤るとあっという間に時代遅れの装置を抱え込むことになってしまうことも。絶妙なタイミングで導入に踏み切り、いち早く実装し、創薬プロセスに活用していくことを徹底して心がけたことが、良い結果につながったと考えています(鳥澤)」。
部内外の各機能を高度に連携させながら、中外製薬の創薬にとって重要な基盤のひとつに

ProS部は2021年の4月に新設されたばかりの部署。そこで新薬の創出に携わる上で、鳥澤には大切にしていることがある。
「ProS部は、標的タンパク質というキーワードのもとに関連機能を集結させた、世界の製薬会社でもあまり例のない組織です。クライオ電顕によって創薬プロセスの大事なピースがひとつ埋められたことは間違いありませんが、同装置を使った立体構造解析はProS部の活動の大きな流れの一部でしかありません。
創薬研究の難易度がますます高まる中、標的分子についてモダリティ横断的に創薬初期部分全般の責任を担う立場として、迅速かつ適切に情報を取得し、いかに中外製薬独自の創薬プロセスを活性化していくかをいつも意識しています(鳥澤)」。
ProS部が目指すのは、中外製薬が創薬を進める上での代替不可能で変革を起こす研究機能を持った組織となること。部長として組織の将来をこう展望する。
「クライオ電顕という革新的な技術導入とその後の一連のプロセスを成功に導いたことで、本技術に留まらず、ProS部が先端技術を短期間で実装し創薬プロセスに活かしていくケイパビリティを備えた組織であることが示せたと思っています。
外から取り込むにしても、あるいは自分たちで開発するにしても、新たな科学の勃興と成長過程を見極めながら、これからも中外製薬が目指す創薬にとって最適な技術を最適なタイミングで実装にまで持っていきたいですね。
また、ProS部は部内に備える各コア機能で世界トップレベルを目指していますが、中外製薬の創薬水準の向上に貢献するためには、各機能をそのように強化しながらも、それぞれが連携して創薬の同じ科学的な課題に取り組むことが欠かせません。
このように、各機能が高度に連携しながら創薬に関連する情報を統合して考察まで行う取り組みのことをIntegrated Protein Science活動と呼んでいます。これを効率・効果的に実行する体制を構築することこそが、今のProS部に課された使命。
共に創薬プロジェクトを推進する他部署の機能メンバーとも連動しながら、良い薬を患者さんに少しでも早く届けられるよう尽力していきます(鳥澤)」。