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【髙田さんインタビュー 前編】

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Profile

髙田 忍さん
疾患
加齢黄斑変性かれいおうはんへんせい

加齢黄斑変性とは、網膜の中心にある黄斑の機能が低下し、視野の真ん中が見えにくくなったり、像が歪んだりする病気です。髙田忍さんは、72歳のときにこの病気を発症しました。すぐに治療を受けたため、現在も視野を維持し、黄斑疾患の患者会の代表世話人として、また趣味の歴史散歩にと積極的に活動されています。そこに至るまでには、60代でのご自身と奥さまの闘病生活で実感された深い思いがあったといいます。髙田さんに、これまでの経緯や、現在取り組んでおられる患者会の活動などについてお聞きしました。

※本記事の取材は、2023年6月19日に実施しました。
髙田 忍たかだ しのぶさん
60代で自身と妻(2011年12月逝去)のつらい闘病を体験。2014年、72歳のときに加齢黄斑変性を発症。過去の経験から患者の立場から発する声の重要性を痛感し、2015年に現在の「NPO法人 黄斑変性友の会」を発足。代表世話人として、会の運営に携わっている。現在は82歳で一人暮らし。歴史をめぐるツアーや天体観測も楽しみの一つ。
1.大病を発症。2.突然起こった視界の歪み。3.黄斑変性友の会を発足。

1定年後のセカンドキャリアに挑戦している中、夫婦で立て続けに大病を発症

まず、患者、患者家族としてさまざまな思いをされたという髙田さんの60代でのできごとを話していただけますか。

会社員時代は海外勤務も経験し、売上や利益という数字で評価される日々でした。そこで定年退職後は全く新しいことに取り組みたいと、司法の世界を目指したのです。63歳でロースクールの最高齢学生となり、国家試験を二度受験。しかし、二度目の不合格がわかった直後の2009年に、人間ドックで前立腺がんの疑いありとされ、司法への挑戦はここで断念し、治療に専念することを決心しました。

そして、前立腺がんのホルモン療法が終わって放射線治療が始まったとき、妻が、骨髄異形成症候群という血液の難病にかかっていることがわかったのです。
この頃は、自分の放射線治療を終えると妻の入院先に駆け付け、身のまわりの世話をする日々でした。
病状や予後を説明する医師の言葉に、「こんな言い方があるのか」と悔しい思いをしたこともありました。その一方で、同じ患者家族という立場の方からの助言にハッと気づかされ、妻への関わり方を見直したこともありました。

患者家族の方のどんな言葉が、髙田さんの心に響きましたか。

インターネットで探して連絡を取った、骨髄異形成症候群の患者会に入会している方の言葉です。その方は、お母さんが妻と同じ病気でした。妻の病状が進んでいき、治療法についてセカンドオピニオンを求めていくつかの病院をまわっているとき、名古屋の病院まで付き添ってくれたことがあります。
「この病気は治りません。私は母に、残り少ない人生だからこそ楽しい思い出をたくさん作ってもらえるよう一緒に温泉に行き、美味しいものを食べるようにしています」
医師からは聞くことのできない、患者家族ならではの言葉だと思いました。

この貴重な助言を聞いて以後、妻に対する接し方にさらに気を遣うようにしました。妻の自宅療養中、病院での診察が早く終わるときは、一緒にスーパーで買い物をして、料理を作りました。遅くなるときはホテルに泊まり、神戸の夜景を眺めながら食事をして。美容院に行ったり、神社にお参りをしたり、歯石を取りたいというので、今さらながらと思いつつ歯科に行ったり。とにかく妻が願うことを一つずつかなえていくことに努めました。この私の姿を見て、医師から余命を告げられて以来パニック状態だった妻の心に次第に変化が現れ、穏やかになっていったのです。

妻は入退院を繰り返し、1年の闘病を経て亡くなりましたが、この時期に患者として、患者家族として、さまざまな体験をしたことが、現在の患者会の活動につながっていると思います。

2ある日突然起こった視界の歪み。早期治療で回復も、失明への不安はつきまとう

70代で加齢黄斑変性と診断されたとき、どのような目の不調や違和感があったのですか?

当時の私は一人暮らしの生活にも慣れ、奈良や京都など歴史遺産を訪ねる旅も楽しんでいました。異変に気づいたのは、2014年8月の早朝のこと。パソコンの電源を入れると、画面の右枠が歪んで見えました。夏の疲れが出たのかなと思いつつ、車で外出しようとしたら、今度は車線が歪んで見えました。運転するのは危険だと思いバスに乗ると、窓から見える電柱が歪んでいて、駅に着くと階段が波打って見えたのです。

「歪んで見える」という症状を、それまで感じたことはありましたか?

私の場合は、突然起こりました。幸運だったのは、その2日後の金曜日に人間ドックの予約を入れていたことです。眼科の診察室でこのことを伝えると、さっそく翌週に検査が手配され、「加齢黄斑変性」と診断されました。

治療は、その日から始まりました。眼球内の硝子体に注射をするのです。最初は1ヵ月おきに3回注射し、3回目を受けたころには「歪んで見える」という症状もほとんどなくなり、運転を再開することができました。その後も定期的にこの注射を受け続け、現状より悪くならないようにしています。

まさに早期発見・早期治療が功を奏したといえますね。

非常にラッキーだったと思います。とはいえ、加齢黄斑変性とは、当時の私にとって聞いたこともない病名で、先の不安はいつもありました。この病気がメディアに取りあげられるときなど、常に「失明の恐れ」が枕詞のように使われることも要因の一つです。

3これまでの体験から患者自身が関与する必要性を感じ、黄斑変性友の会を発足

そうした不安は多くの患者さんが感じておられるのではないでしょうか。髙田さんは、その不安の中、発症から約1年で、患者会の立ち上げに関わっておられます。

病院の掲示板で、患者の集いのポスターを目にしたのです。何度か参加するうちに、東京から来ていたコーディネーターの方と会話をするようになりました。そして、関西に独立した患者会を作りたいので代表世話人になってほしいと打診されその場で引き受けました。
自分の経験を通じて患者会の存在意義を理解していたこと、そして患者会の取りまとめには、患者自身が関与する必要があることを痛感していたからだと思います。

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