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病気も人生の一部。受け入れるところから前向きな挑戦が始まる。【門永さんインタビュー 後編】

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Profile

門永 登志栄さん
疾患
関節リウマチ
門永登志栄さんのライフグラフ
4.リュウマチの友の会に関わる。5.共有しあえる仲間を持ち大きな転機。6.くも膜下出血になる。

中学生で関節リウマチを発症した門永さんは、治療を続け生活習慣にも気をつけながら、さまざまなライフイベントをこなしてきました。特に子育ての時期は充実したいい時だったと言います。その後、新たな健康上の問題も出てくる中、患者会である「公益社団法人日本リウマチ友の会」(以降、リウマチ友の会)の活動にも精力的に関わられています。後半は「リウマチ友の会」との出会いを中心に、体の声を聞くことの重要性や病気とともに生きることへの思いを話していただきました。

※本記事の取材は、2022年10月20日にオンラインにて実施しました。
門永 登志栄かどなが としえさん
13歳で関節リウマチを発症。現在64歳で、69歳(会社員)の夫と二人暮らし。長男は結婚し、孫2人の成長を楽しみにする日々。
2008年より日本リウマチ友の会鳥取支部長、2011年より本部の理事も務めている。

4言えなかった「リウマチです」の言葉。転機になった患者会の活動

「リウマチ友の会」に関わるようになったきっかけは何だったのですか?

息子を生んで1年ほど経ち、子育てと病気の再燃で一番しんどかったときに「リウマチ友の会」に出会いました。リウマチ専門医の本を読み患者会の存在を知って入会し、しばらくはリウマチ友の会から送られてくる機関誌『流』から情報を得ていました。積極的に活動するようになったのは2008年に鳥取支部の支部長になったころからです。また、2011年より本部の理事、2015年からは本部の副会長をしています。

以前は病気のことをまわりに言いたくなかったとお聞きしました(前編参照)。気持ちが変わったのですね。

子どもの頃にリウマチを発症し、当時からずっと“高齢者の病気”だと思っていました。ですから恥ずかしい気持ちもあり、病気があるから弱いのだと思われるのもとても嫌だったのです。だから、PTAのお付き合いの中でも、病気のことは話してきませんでした。周囲に病気の話ができる仲間はいなかったですね。
でも、リウマチ友の会に関わるようになってから、「私は関節リウマチです」と言えるようになりました。

5「元気でいられますよ」と多くの人に伝えたい

活動を始めてみて、どんな心境の変化があったのですか?

「リウマチ友の会」の活動を始めて、病気のことも共有しあえる仲間を持ったことは私にとって大きな転機でした。そして、30~40歳の若い人が発症し、困っている人がたくさんいるということがわかりました。みんな、動きたいし、仕事もしたいのに、こわばり・痛み、薬の副作用でできなくて将来の不安を抱えている方がおられるのです。

だからこそ、私が元気な姿でお話をして「中学のときから発症して色々あったけれど、こんなに動けていますよ」と伝えていきたいと思っています。関節リウマチについても、「治療でも生活でも仕事でも、さまざまな選択肢がありますよ」「元気でいることもできますよ」ということをリウマチ友の会を通して啓発をし、ぜひ多くの患者さんやその周囲の方に知っていただきたいです。

鳥取県米子市で行われた日本リウマチ友の会全国大会(2018年)前夜祭でのあいさつ風景。隣にいるのは鳥取県のゆるキャラ「元気トリピー」。県にはいろいろなゆるキャラがいるが、「参加者が元気になるよう」という県の担当者の想いが込められている
お子さんが独立され、現在は夫婦2人の生活をどのように過ごされていますか?

夫婦2人の生活になる前は、義父母の介護も経験しました。介護は力仕事ですから自分で全部しようと思わず、ケアマネージャーさんに相談してデイサービスを活用するなど、使える制度はすべて取り入れながら、できるだけのことをしたと思っています。

夫と2人の生活になった現在は、適切な治療を受けてきたことにより、体調は寛解に近い状態で落ち着き、リウマチ友の会の関わりや日常の生活も支障なくできています。
若い頃は関節リウマチによる痛みやだるさ、動きにくさとの闘いばかりでしたが、今は病気のことだけでなく、組織づくりや人と人とのつながりのことなども学ばせてもらっています。
このようにリウマチ友の会の活動ができるのも、夫の支えがあってのことです。

6病気を抱えていてもできること。そのために現状を受け入れることも大切

現在、元気で過ごすために気を付けていることはありますか?

実は、55歳の頃にくも膜下出血になり、感染症で髄膜炎になって生死を彷徨いました。3週間もICUにいたため、筋力と体力が落ちて大変でしたね。朝、目が覚め、ベッドを起こして牛乳を一口飲んだところでもう疲れ、座っていられないのです。それぐらい憔悴しました。
幸いにも、何の後遺症もなく今に至っています。また、3年前に内蔵疾患のことで、2年間に6回の検査入院をしました。これも筋力・体力が低下した要因です。今は、衰えた筋力と体力を取り戻すため、足の痛みがあってウォーキングなどはできないので、プールでアクアビクスの教室に通っています。また、お風呂の中で浮力や水圧を使った筋トレをするなどの工夫やリウマチ友の会の「リウマチ体操(DVD)」を見て体を動かしています。

ご主人は、門永さんにとってどんな存在ですか?

夫は昔から私の話を黙って聞いてくれる人で、私が何でも話し、夫は受け止めてくれます。今は無理をすると必ず体の痛みやだるさが生じてくるので、夫の協力と援助はなくてはならないものです。家事では、掃除に加えて料理もよく作ってくれます。私の調子が悪かったり、「リウマチ友の会」の活動で忙しかったりすると、夕飯づくりをしてくれるのがとてもありがたいですね。インターネットでさまざまなレシピを見つけて、ときには私の知らないメニューが登場しています。

最後に読者の方に伝えたいメッセージをお願いします。

人それぞれで症状によって違うとは思いますが、病気は折り合いをつけて受け入れるしかないというのが今の考えです。ある意味開き直りですが、病気も人生の一部分として私はとらえるようになりました。考えて考えて、つらくて悩んでも、よくなりませんし悩む時間ももったいない。受け入れることで今の自身の状態を把握し、元気で日々を過ごし、前に進むことができると思います。

「病歴が長くても複数の病気を抱えていても、健康な方と同じように社会生活ができることを伝えたい。また、そのようにできる社会になってほしい」という門永さん。10代の頃から大変な思いをしたからこその信念であり励まされる人も多いのではないでしょうか。

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